一人ひとりが価値ある存在であり、独自の個性を備えています。
この地球だけでなく、宇宙のどこを探しても、あなたとまったく同じ存在などどこにもいないのです。
自分が貢献すべき事柄は、自分以外の誰にもできないことです。
そして一人ひとりは何かしら、世界に役立つ何かをもっており、それはたとえ価値ある技術や能力を備えていないことが明らかな人でも変わりません。
実際、自分自身は自覚している以上に貴重な存在なのです。
一人ひとりが、さまざまな方法で地球に「光」をもたらす可能性を秘めた存在であり、光をもたらすものは、何も個人の才能ばかりとは限りません。
ライトワーカーとしての資格を備えていたり、地球に奉仕する際に、特別才能に恵まれていたり、高度な教育を受けている必要はないのです。
確かに、中には地球以外の星や次元での過去生で発達させた特別な技術や霊能力などの才能を必要とする「生涯の任務」をまっとうすべき運命にある人もいます。
ただ、自分が地球への貢献に身をささげようとする意志がありさえするば、たとえ何の取り柄がなくもっとも進化の遅れた人物であろうと、スピリットがその人の力を活かすことができ、またその意志もスピリットにはあるのだということを理解しておくことは重要です。
高度に進化していたり、特別な知性やカリスマ性を備えていたり、美しい外観に恵まれていたり、天部の才を備えていたり、特別な人としての資質を持っている必要などないのです。
唯一必要なのは、世界のために無条件に奉仕したい、という強い意志だけです。
ですが、実際には、そのような奉仕の心を備えた人たちは通常一定の進化レベルに達していることが多いです。
世界に貢献したいと感じている人にできるもっとも重要な事柄とは、自分の個性に合った方法としてスピリットが提案する、あらゆる提案を受け入れ、それを実行に移して地球のために自分を役立てることです。
その際、「自分に見返りがあるのなら、地球のために奉仕しよう」などと、奉仕に条件を設けないようにすることが大切です。
また、自分の奉仕の結果の価値判断を下すことも避けるべきでしょう。
人間のエゴ(低次の自己)というものは、すぐに物事を比較したり、価値判断を下しがちです。
あらゆる奉仕にすべて同じ価値があるのだと考えましょう。
なかには確かに、名声や信望を集める性質の奉仕のしかたもあるでしょう。
そして、そのようなタイプの奉仕がより良いと感じることもあるかもしれません。
しかし実際には、ほとんどの場合そのような価値判断は人間のエゴから生じるものであり、スピリットはそのような価値判断を下すことはありません。
どのような形の奉仕であれ、求められてさえいれば、それは必ず何かの役に立つ性質のものであり、したがって必ず価値があるのです。
その上、誰でも自分が果たすべき奉仕を実行する際には、他者の奉仕の行為に頼らざるを得ないことが多いものです。
例えば、教師が生徒にものを教えるのに、教科書を印刷してくれる人やその物理的な環境を用意してくれる人がいなければ、教師としての仕事することは難しいでしょう。
このようにより高い視点からみれば、教師が印刷業者や工事に携わる人よりも重要だと誰がいえるでしょうか?
それぞれが、ただ形の違った「奉仕」をしているだけなのです。そこに優劣はありません。
地球をより良い世界にするのに役立つために、何もスピリチュアルな能力をもったリーダー、ヒーラーなどである必要は特にないのです。
「いかにして」奉仕するかは、等しく重要なのです。
一日を通じ、言葉や行動によって愛を広めるように努めているでしょうか?
愛こそが地球がより良い世界になるための原動力ともいえます。
他者を愛する気持ちから生じる親切な行為こそが、現在の地球と人類のために役立つもっとも重要な行為なのです。
他者を愛し、親切な行為を重ねることは誰にでも可能です。
人を愛するのに「愛の学位」など必要ありません。
さらに、人を愛することは、誰からも何も奪う性質のものではありません。
実際のところ、他者を愛する気持ちから生じる親切な行為を実践することで、返ってくる恩恵の方がはるかに多いです!
愛に生きることは、毎日に一瞬一瞬の選択から成り立っています。
つまり、自分は常に「愛か、隔たりか」を選択しているのです。
愛することを選ぶ障害になっているものは何でしょうか?
その答えは一人ひとり異なっているはずです。
自分自身に手を差し伸べるためにできることは、継続的に他者を愛することをジャマしている自分自身のあらゆる部分を見つけ、それらを愛し、癒しをもたらすことです。
もちろん、それが苦しい注文であることは十分承知しています。
ですが、何も完璧にする必要などありません。
ただひたすら、それが日常の習慣にるまで、孤立よりも愛を選ぶように最善をつくるだけで良いのです。
そうすれば、ついには愛に満ちた生活をおくる名人になることでしょう。
愛するという行為は、それ自体に恵みをもたらす力が備わっていることから、愛を選ぶ回数が増えるにしたがい、愛することがどんどん簡単になっていくはずです。
もしかすると、最初のうち、愛を選択する際の障害となっているものを癒し、取り除くことが必要な人もいるかもしれませんが、そのようなときはヒーラーの力を借りるのもよいでしょう。
瞑想など、心の扉を開かせないようにしている心の傷を癒す助けになる方法は、それこそいくらでもあると考えてください。
今一人ひとり、人類全体に求められていることは、心の扉を開けることです。
現在地球で起こりつつある「意識の上昇」は、知的なプロセスではなく、非常に深いレベルにおける「感情の浄化」であり、人々の感情が浄化されることによって、人々の心はより大きな愛と慈しみに満たされることになります。
地球をより良い世界にするために役立つための能力を高めるよう、一人一人ができることは、まず自分の心に癒しをもたらすことです。
自分の心を癒すという方法で自分自身に救いの手をさしのべたそのとき、その人の前には他社の手助けをする可能性が開けてくるのです。
開かれた心をもった人たちが地球にたくさん増えれば増えるほど、それは地球に住む人全体の生活の変化となって現れ、さらには地球上のあらゆる体制や組織にも変化が生じ始めるでしょう。
誰もが自分の心の声にしたがって生きるようになったとき、今までとは全く異なった世界に住むことになるのです。
今の世界をより良くする方向性は、恐怖や憎しみ、怒りなどの代わりに、愛にあふれた世界にいきることに向けられるべきです。
そのために各人が、自分の心の扉を開くことができるよう、感情の浄化を経験していくことが必要です。
本来、このような感情の癒しは現代の流行になるべき性質のものであり、誰もが自分自身と地球のために役立てることができる、もっとも重要な行為といえるでしょう。
地球の大転換を迎える今、癒しを避けて通ることは不可能ですし、加えて、自分自身を癒せるのは本人をおいて他には存在しないのも事実です。
とはいっても「誰も手を貸してくれない」というわけではありません、高次の存在たちは、毎日一人ひとりに霊力が作用し、新しい世界への準備に向けて感情の浄化の手助けをしています。
その際、一人ひとりのやるべき仕事は、それらの霊力を受け入れるように心を開き、意識的に霊力を喚起するように努め、「より浄化された奉仕者」になれるよう、心の中なかで手助けを求めることです。
一部の人にとっては、感情の浄化を求めることは、浄化の妨げになっている誤った信念を捨ててしまうことを必要とします。
スピリットからの癒しを求める心の障害になっているものは何でしょうか?
瞑想や祈りのために時間を割くのが難しいのでしょうか?
奉仕者としての価値や、求めれば得られるはずの手助けと愛を受け入れるだけの価値が、自分にはあるはずもないと感じているのでしょうか?
それとも、自分自身をとるに足らないダメな人だと感じているのでしょうか?
多くの人は、高次の存在からのサポートである霊力など存在もしないし、何の助けにもならないと感じているかもしれません。
または自分には癒しなど必要ないと感じている人もいるかもしれません。
実は、癒しを必要としないと考えるのは、その人自身の考えというよりは、その人のエゴからくる傲慢さといえます。
人間のエゴは癒しのプロセスをジャマしようとする傾向にあるものです。
ですから一人ひとりが挑戦しないといけないことは、「癒しなんて必要ない」「自分は大丈夫だ」というエゴからのささやきや横やりを克服することです。
エゴは人間(おもに肉体)が生き残るために存在しています。
エゴは人間の原始的な側面であり、恐怖心を通じて本人の安全を守る役割を果たしているものの、その安全という概念の範囲が極めて狭く、したがって変化や、自分の生存に関係のないものすべてに対して脅威を感じるように作用しています。
目に見えない話ですが、一般にいわれている人に害を及ぼす霊や宇宙の存在たちもエゴと全く同じ方法に訴えてきます。
ですので実際のところを言いますと、感情の浄化を妨げているのはエゴの倍もあれば、ネガティブな自分以外の存在の仕業の場合もあります。
霊的な進歩を妨害する方法として恐怖心を使うのはどちらにも共通していることなので、本当の自分の考えではないことを理解することが重要です。
あわせて人間のエゴが用いるほかの策略は、それがどれほど簡単なことであれ実行不可能であると本人に耳打ちするという方法です。
「そんなことが上手くいくはずがない。ことはそれほど簡単じゃないんだ。そのうえ、自分には生活費を稼ぐとか、もっと他に重要なことがあるじゃないか。」など、自分に対していってくるわけです。
実際、自分から求めるという簡単な方法で、自分が真に必要としている情報や手段をみつけることができます。
それを難しくしているのは自分のなかにあるエゴと言えるでしょう。
多くの高次の存在がサポートをしたがっています。そのため、人生が困難である必要もなく、独りぼっちで道を歩む必要もないのです。
高次の存在からサポートを得るには、自分の方から手助けが必要なことを表現する必要があります。
実際には、高次の存在の立場から見た時に、あまりにも悩み苦しむことを楽しんでいる人もいて、本人が心の底から救出を願うまで、高次の存在側から手助けができない場合があります。
このような人がいることはとても奇妙に感じるかもしれませんが、これは事実です。
多くの人は苦難から何かを得ようと考えるあまり、なかなかその苦難から抜け出そうとしたがりません。
また、苦しい状況に身を置くことが自分にはふさわしく、現状よりもましな状態に身を置くだけの価値を自分自身に認めないことから、高次の存在に手助けを求めようとしない人もいます。
高次の存在からのサポートを得るために必要なことは、ただ助けを求めることだけです。それは非常に簡単なことなのです。
高次の存在に助けを求めることはほんの一瞬で出来ることです。
そして、助けを求める人の言葉が心の底からであればあるほど、得られる手助けもより力強いものとなります。
今までの人生で、より熱心に願いや手助けを念じることによって、高次の存在からの反応がより強まる事実にきづいたことがあるでしょうか?
その願う気持ちの裏にはどれほどの意志があるでしょうか?
ほんのちょっとかもしれませんし、全存在をかけた願いかもしれません。
願いの裏にある情熱を感じることで、高次の存在は人がどの程度苦境にあるのか、そして、どの程度の手助けを必要としているのかを判断することができます。
高次の存在がどれだけ手助けするかは、一人ひとりがどれだけ必要と感じているか大きな関係があります。
高次の存在の手助けを全力で求めることを妨げているものが一体何なのか、その背後にあるものに注意をしてみてください。
ただ最初から手助けを求めようとしないのはなぜなのでしょうか?
そして、一心に願うことを妨害しているものの正体は何なのでしょうか?
その正体は人によって、信念だったり、教育による刷り込みだったりと異なってくるでしょう。
自分の内面に向き合えばその答えを必ず見つけることができます。
自分の全存在をかけて本当に自分が癒されることを願っているでしょうか?
自分の全存在をかけて高次の存在との関係を真に求めているでしょうか?
さらに、自分の全存在をかけて、自分が生涯専心すべき仕事を見いだしたいと、真に望んでいるでしょうか?
これらのことを実は望んでいないという部分は、自分の中のどこにあるのでしょうか?
実際、高次の存在との関わりや手助けを求めていない自分の中の一部こそが、物事を願う情熱の火を弱め、高次の存在からの応えを十分に受け入れられない原因なのです。
(※参照文献『アセンションへの道~惑星連合からのメッセージ~』ジーナ・レイク著より)